Maher Shalal Hash Bazの曲で「塩ヶ森」という曲がある。
2007年に発売された「他の岬」というアルバムの中に入っているが、もともと2003年に書かれたBlues du jourというのが元となっている。(たぶん) 6月は大阪で見たい展覧会があって、行く機会があった。 いつも 展覧会やイベント1つでは交通費がもったいなくて行けないので、いくつかタイミングを合わせていくのだが このあたりで京都でも見たい展示があったし、ちょうどプリミ恥部の平岡香澄ちゃんらの 大阪を離れる前の上映会+ライブが連続でライブ出演者を換えてあっていて、 工藤冬里さんが出演するということだったので、行ってみた。 このイベントは翌々日が梅田哲也の日で、やっぱりそちらも見たかったけど、 他の日程やらバイトの休みなどで断念。 会場に行ってみて、なんだか話の流れでパンダの着ぐるみを来てドラムを叩いたりした (というかパンダの着ぐるみでうろころしていたらスティックをもたされた。楽しかった。ありがとうカスミン。赤ちゃんもおめでとう。) のだがそれは置いておいて、 そのときに工藤さんと6月の大分と映像について話す機会があった。 6月22日と23日は 大分と別府でマヘルのライブが決まっていて 今回は福岡公演がないようだったので、参加していいですか、という話をした。 そのときに出たのが、映像を使えないかという提案だった。 マヘルの「塩ヶ森」という曲。これは タ・タタ/タ・タタ/タ・タタ/タ・タタ/ タ・タタ/タ・タタ/タ・タタ/タ タ タ タ/ と四分の四拍子で進んでいく曲の、8小節目、最後のタタタタの四拍の3番目が微妙にズレて、 そしてまた元通りに帳尻を合わせて進んでいく曲。回数は不明。無限に続くような時もある。 工藤さんによると これは長年やってきた曲で、この最後のタタタタの「ズレ」を共有することでマヘルは一つの共同体として 動いてきたんです。と。(確かそのような話だった) この「ズレ」は、「ロック史」に基づいたズレであるという。 最近ではmax/MSP/jitterとかがはやっていて、映像と音楽を同期させることが プログラムを組めば簡単にできるようになっているし、やっている人も多い。 それで山口の人らなどは出てきているわけだけど 彼らには「ロック史」(文脈や背景)が欠けている。だから強度が無い。 というのが工藤さんの主張で。(言うまでもなく「山口の人ら」って・・・) 今回は「映像のエフェクト、ロック史に基づいたエフェクトをかけたい」、ということだった。 この「ロック史」については、陶器展の時もたびたび出てきた単語で、塩が森のこの提案を聞いたときの私も 「工藤さんが言うのだから、何か歴史上の理由があるに違いない」などと思っていた。 かつ私は音楽の歴史については全く分からないので、このときは何もつっこんで聞いたりはせずにいたものだけど、 後々聞いていくと、全て工藤さんの思い込みの地平にあるものというか、 「これはこうだ」という決めつけ(といったら言い方は悪いけど)のもとに作られていった概念で、 でもその「ロック史」という概念が工藤さんの中には一本譲れないものとしてあるわけで 面白いなと、今も思うし鬱陶で陶器の話を聞いたときも思ったのだった。 そしてそのロック史を軸に、何か撮れないだろうかとも考えているのですが、それはまた別の話として。 「ロック史」が工藤さんの誤読や思い込みから生まれた考え方だというのは12月に行われた辺境プロジェクト(この日記は後日書いています)で少しだけ明らかになるのですが、 そもそもその「ロック史」というのが実際どういうものなのか、というのはまだ私にもぼんやりとしか分かっていないので、今後整理して聞いてみたいところです。 ロックは終わりからはじまった そして転がり続けている 全ては「ロック史」なんです。 何が評価されるか、歴史に残るかというのは。 ウォーホルはベルベッツと一緒にやることで認められた。 + + + 私が映像をよく撮っているということもありこういう話があったのだろうと思う。鬱陶の時もずっととっていた。ただの飲み会でも撮っていたしカメラはよく持ち歩いている。 はじめは このズレに合わせて画面がビカーと光るとか、16分割するとか そういうエフェクトを想像して言われていた。(写真参照 工藤さんによるメモ) でもそういったものはおそらくVJソフトとかが必要で自分は使ったことがないので 難しいかなとも思っていた。 そして、正直それは かっこいいのか・・・? とも。 でもきっと工藤さんには 外見のかっこよさよりもコンセプトのほうが重要で、 今回は「ズレ」と「映像」が結びつくところが重要なんだろうと思った。 そもそもマヘルシャラルハシュバズも、そのようなバンドだと自分は思っている。 コンセプト。 誰でも参加できる。楽器ができれば。できなくても良い。 常に開かれており、様々な人が参加して、そうなるとやっぱり楽譜通りにはいかない。 エラーやノイズが多く入るが それをどのように取り込んで、受け入れて、反応し、まとめあげていくか。 開かれたものは閉じることはできない。 以前のこのしまの夫妻と車で松山まで行ったときに、工藤さんとシバッチさんが運転席で話しているのをじっと聞いていたことがある。 そのときに、マヘルの話をしていて、工藤さんは「僕は完璧主義者なんです」と言っていた。 曲を作るときに、その曲の音の形、響き、息づかい。音が音として立ち上がるときの その瞬間のはじめの音の鳴り方まで頭のなかに像としてできていて、昔はそれをそのまま現実に現そうとやきもきしていたのだという。 でも当然そのようなことは無理なことで。 だからこそ、それはもう幻想のものとして諦めて、諦めた上であえてエラーが出るようなやり方をしている、 というのは工藤さんの言葉ではないけれど思うところ。 エラーや間違いさえも、肯定も否定もせず、ただ曲の中に取り込んで行く。 マスター・オブ・ミステイクってそういうことではないか。 だからマヘルは誰でも参加することができる。むしろ 部外者が入ってエラーを出す事で曲は更新され続ける。 毎回違うものになる。成長し続ける。でもそこには美しいメロディと、リズムと、工藤冬里というコンダクターが居て、確かに全体を掌握していく。 最近素数というものをよくいうけども,要はそういうことで 一つ一つの素数が集まってマヘルを形成していく。それは あくまで個のまとまりであって集団ではない 個があつまって共同体になる。素は個なのだから、個性=エラーが出るのは当たり前でむしろそれを望んでいる。 マヘルも工藤さんにとっては表現の一つの手段なのであって、やっぱりロックに基盤をもっているが それだけに限らない。それはロック史という一つの基準があるから ではないか。とか。 では「ロック史」って何だろう。 とにかくやってきたこと、や自分のビジョンがある人ってやっぱり強い。 よく言われることですが 私がある特定の作家に反応したりする。他には何も反応しない。 それはどこかしらその作家たちに共通点 もしくは自分にしか見えないものかもしれないけど共通項を感じているんだと。 何でこんなに気になるんだろうかとか、何でこんなにいい作品だと思えるんだろうかとか 色々考えるけれども、それはとにかく関わりながら作品を見ていくことで掴んでいくしかないと今は思っている。 この「ロック史」というのも、自分の中に響いているのだろうか。 福岡に諸岡光男という、テレビを使ったノイズミュージックをしていて、最近はプログラミングして映像と音楽を画面上で手でまぜていくような 興味深い演奏をしている男がいる。 工藤さんははじめ「諸岡くんそのへん詳しくないかなぁ」とか言っていたのだけど、 でもこれは私がやりたいと思った。 工藤さんと初めて何かができるんだ、とそのとき思ったのだ。 「ちょっと考えてみます」 そういってその日は帰って、 予定を済ませて福岡に帰ってからいろいろと模索。 はじめはVJソフトか?と思って人に聞いたりお試し品をいれてみたりもしたのですがやっぱりダサイ。 そしてサンプル品は途中で「これはサンプルです」みたいな表示がバーンと出てしまって どうにもならない。 でもお金を使って買ってもなにか違うのではないか。 そんなに完璧にして それはちょっと違うのではないか。 というか マヘルの音楽で映像だけキワキワってどうなんだろうとかぶつぶつ考えたりしていた。 一方で、最近OHPを使ってVJをする人が多く居る。OHPiaもそうだし、田川の宋さんなんかもよくやっている。 これはとても楽しいしアイデア次第で何とでもなる。 イメージとしてはこちらが一番合ってる。 ちょうど先日Deerfoofが福岡に来たときに、長崎のrocoさんがVJをしているのを手伝ったことがあって、 OHPはそのときに使って遊ばせてもらっていた。 でも長崎から借りるわけにいかないし。 考えたのは誰でも実現可能で、機材もごてごてしいのは要らずに、できないかということ。 移動が多いバンドにとってはそれも一つ重要なことだと思う。 そしてOHPって画面上の映像を要は鏡で反転させて光で増幅して投影している・・ようなもんではないかと思って つまりプロジェクターで映すのであれば カメラで取り込んでそれを投影、ということと同じことなのでは という変な考えで、カメラに直接かざせばいいではないか!という結論に達した。(鏡をとっぱらっただけです。要は。) そして本番の別府タワー。 工藤さんにも内容を説明し、 本番前、タワーに向かう前に百均に寄って素材を物色。いくつかのガラス皿とビニールシート、 そしてビニール袋を手に入れて下準備。 結局 これできるかな?と皆で作ったえのぐ水は光が通らず使えなくて テトラから持っていった分厚めのガラスの皿と、コップの底がかなり役に立った。 直接かざすんです、ということに「それはいいアイデアですね」と喜んでくれた。 スクリーンが小さくて斜めにしかならなかったときに、 私としてはスクリーンなんてなく、照明的に演奏者に当てる感じでもいいのかなと思ったのだが、 それを言うと 「なんでですか」 「でも作品なんだから斜めじゃ駄目じゃないですか。」 と不機嫌そうに言った工藤さんがなんだか印象的だった。 「作品」なんだなあ。 (結局スクリーンは無事に設置された) 終わったあとに、「これは歴史に残るよ」と言った。 この映像のプロジェクト(?)はその後も何カ所かで行われている。そのあとの広島でもされていたそうだし (このときの映像は主催の倉元さんに送っていただきましたが、普通にプロジェクターでの照明のようになっていた・・・うーむ) 沖縄ツアーと、11月の辺境プロジェクトでもあった。 また12月はイギリスで工藤波夫さんらが効果を担当してやっていたらしい。 そういう話を聴くと少し嬉しくもなる。 この後、何度か映像について話すことがあった。 もしくは 写真と映像について。まあ大抵「どう思いますか」とふられて応えられずに終わるような。 私が気にして見ている大木裕之さんも工藤さんは知っていて、12月の個展のときに大木裕之について語ったことがあった。 工藤さんはVimeoというサイトでデジタルハリネズミで撮影したビデオをこの春からアップし続けているというのもあって、 http://vimeo.com/album/244706 大木裕之と関連して考えることも多くなっていった。 それは9月の大木裕之ACTIONに繋がっていく。のだった。 ズレや誤読や深読みや辺境 などなどのキーワードがたまっていく。 でもたまっていくものは捨てられたもので まだまだ工藤冬里さんはどんどん先にいこうとしている気もする。 おいついてその先を見てみたい とも思った。
by tetoyarama
| 2010-06-23 00:00
| oyama
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