てとやらま

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2011年10月の日記

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先日プロジェクトFUKUSHIMA!を手伝っていた知人とゆっくり話す機会があった。
そのとき、やっぱり実際に見ないと聞こえてくる情報だけじゃ伝わらなかったり見えなかったり
本当には分からなかったりすることってたくさんあるんだなと いう話をした。

去年のことになりますが10月に東京経由で仙台/盛岡まで行ってきた。
そのときのことを全く何も書いていなかったのでfacebookに書いたものを転載しつつ、記録としてメモをしておく。

今回は本当に、東京の用事と、人に会うのとで、時間的余裕もなく、
本当に、「見るだけ」になってしまった。
これについてはどこか変な罪悪感みたいなものをなんとなく感じてしまっていて
しかしそれもどうなんだろう、と思う部分もありながら、でもとにかく見ることがまず始めだった。

東京には もう本当に当然のことのようにしてマスクを装着していったのだが、行ってみると誰もマスクをしている人なんていなくて、とまどった。横浜では子供が道路にごろごろ転がって遊んでいるし
関東に放射線物質は、どうなっているのかと心配になったし「マジで?」みたいな心境だった。

仙台へ向かうバスは福島を通る高速バス。仙台まで5時間ほどかかるのでとコンビニに寄ったら当然のことなんだけど、茨城でつくられたおにぎりしか並んでいなくて、「え・・」と思った。選ぶ余地がなかったのだ。
いや、茨城の工場だって、大丈夫とは思う。でも、もうなんといったらいいか分からない。自分の言葉がやけに無神経にひびく。しかし正直、「本当に大丈夫なんだろうか」という気持ちがあるのは本当である。
そういうちょっとした、ちょっとしたことがたくさんあって、やはりどんなにか遠く感じていたのかということや
情報がないからこそ分からなくて色々疑ってみてしまうところや、でももしかしたらそのほうがいいのかもしれない、というような迷いもあり、
なんだか自分でもよく分からなかった。

九州にいると、九州の野菜が手に入る。なんとなく今の自分は、生菓子など特にだけど
製造工場をチェックしてから購入するようになった。食べるお米は熊本のばーちゃんちで作られたお米。
福岡産の野菜。古賀の工場で作られたケーキ。
こういった事がどれだけ有効かわからない。
福岡の工場で作られていたとしても原材料がどこから来たかなんて分からないからだ。
同じことかもしれない。
でも、そういった状況よりも、もっと狭まっている。
そういう、「選ぶ」ということすらできない状況。
テレビでは九州から「お取り寄せ」をするお母さんたちの奮闘が時々流れている。
でもそういう人ばかりではない。
「おなかすくししょうがない」と思って購入する。
もちろん安全だと思う。たぶん。でも、いや、わかんない。
そのわかんなさにプラスしての、選べなさ。
でも絶対お腹すいて動けなくなるし、と思って買った。

盛岡は美しい町だった。仙台もかわりなく、懐かしいところだった。

メモ。

10/11 マイルの飛行機で東京へ。横浜トリエンナーレを見る。黄金町の小沢剛作品。
10/12 東京散策。美術館系には行かず、とにかく歩く。夜ぷりぷり企画イベントにいく。工藤冬里と大木裕之
10/13 仙台へバスで向かう。福島の美しい畑が目にはいる。18時着。友人と会う。喫茶ホルン、smt
10/14 塩釜ビルドフルーガスへ。例年通りフォトフェスティバルがあっている。おかげで地元のおじさんおばさんと話す機会ができた。神社へお参り。古本&喫茶の「火星の庭」へ。盛岡へバスで向かう。23時着。比嘉ちゃんと再会。
10/15 比嘉ちゃんと、遠野を通り、釜石、大船渡、道を迷いつつ海沿いを南下。陸前高田。何もない。夜「くうや」へ。
10/16 盛岡散策。アイヌ雑貨upopoでアイヌの人の話を聞く。東北ではアテルイが英雄。じゃじゃ麺。光原者。夜行バスで東京へ
10/17 朝東京着。ベルク→模索舎 疲労のため便を早めて夕方福岡へ帰宅。

■■■以下はfacebookよりの転載■■■
========
■10月13日
きのう、ぷりぷり誕生日イベントにいった。

久しぶりに会うひとも多く、工藤さんや大木裕之さんも出てた。
なんとなくわざとのように、誰にも言わずに行った。

いろんなバンドやDJが出てた。工藤さんのは前半妙なおもしろさがあって、
決まってない演劇みたいな。ビデオとったけど、これはちょっと考えよう。

ヒゲの未亡人、最後の最後のたたみかけが素晴らしく、泣いた。涙です。
こんなとこでまさか泣くとは思わなかったな。
昔の手紙を思い出したりしていた。
愛ー。

そして、

スカイツリー合唱団。これは、すごかった。合唱に演劇的な要素を加え。
環状線と交差して、皇居から伸びる道路、放射線。放射線を通って、スカイツリーを見に行ったんだ。その日常会話を挟んだあとの、二回目のメロディーは、異様に重くのしかかった。みんなの笑顔ものしかかった。


いつもの空の下
いつもの君がそう
笑う

いつもの空の下
放射線の雨が降る
降る


気づかなかったよ
いつからこんなに
大きくなってたんだろう

放射線は風にのって雨になって
君の髪を濡らす
僕はそっとその髪をなでる
そしてねむい目をこする


聞きながら、いろんなことが頭をよぎった。毎日えらぶ産地、野菜、店に入ると、この野菜どこ産なんだとどこかで気になる。東京に、マスクをしてきた。でも誰もマスクしてなくて、少し驚いた。分からない、大丈夫なの?見えないから、不安がある。横浜で、子供が道路で寝転がってゴロゴロ遊んでいた、
その日、横浜に高い数値が出た

たくさんの時間や場面が過ぎ去っていった。

おなじ時間軸で同じ場所のはずだったのに。

いつもの空の下
放射線の雨が降る
君が笑った。

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■10月13日14:30
バスで仙台へ向かっています。途中で栃木と福島を通る。

田んぼが広がっている。
黄金色の。

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■10月15日
盛岡から、遠野を通り、
釜石、大船渡、陸前高田へ。

なにもない、ただ野原と、石と、電柱が広がっている陸前高田。


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■10月19日
昨日の夜、かえってきました。盛岡から夜行バスで東京につき、疲れて何もするきにならず、月曜だし、ということで歩いて歩いてIRAに12時ごろ着いてしまい、閉まっているのでやめてひきかえして模索舎へいき、本を物色。
自主制作本が多くあります。

本を時間をかけて見ていると、昼過ぎから来た神山さんにも会えました。

ベルクでごはんを食べ、空港に向かい、予約した便を早めてもらって そして福岡へ。

双子で酒をのみました。なんだか色々考えた旅。

盛岡には雑貨屋を営むアイヌの人がいて、そうか多賀城か、と思ったり。
北はえみしといわれた場所で
しかしそれは=(イコール)日本の原住民のことで
と考えておりました。
アテルイは英雄。
読みたい本や知りたいことがたくさん。遠野物語も読んでない。
アイヌの人は、
奄美の人と、顔が似てるかもしれないと思いました。日本にもともと住んでいた民俗は
呼び名は違うけれど同じ民俗だったのかもしれない。
とかふと思いました。

模索舎で買った
「砂漠」というジンに、yumbo渋谷さんと、ダダカンのインタビューがのっていました。食についての話題です。
まだ途中までしか読んでないけど、山下ひかるさんとかも載ってます。
おもしろそうです。

自主制作本特集の会をしたいな という話を しました。
一日模索舎、とか。

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■11月11日
車を借りに、実家へ向かっている 思えば10月はかえらなかったので、珍しく父から、

仙台はどうやった無事に帰ってますか

というメールが、いつだったか届いた。(句読点なし!) が、それも二週間くらいスルーしてた。 姉から 父がさみしがっているから返信するように、というメールが届いた。
父よ、 すまぬ。

写真は忘れたが、帰って色々話をしよう。
父は昔 岩沼の航空大学校で教えていて、あのへんに住んでいて、私も双子で遊びにいったりしていた。そのときは仙台空港に降りたんだった。降りてすぐ豪華な海鮮丼を食べさせてくれた。
海が近いのかーと、思った。
今回岩沼にはいかなかったのが少し悔やまれる。

路線図をみると、あのあたりは電車が一部復旧しておらず、バスで代行運転をしているようだった。(10/14時点)

ちなみに仙台から松島海岸まではつながっていたが、その先の気仙沼までも代行運転だったと思う。
塩竃は港町たが、半島が湾にかぶさる様になっていて、その半島が津波を直接うけたが、塩竃自体は津波というより、浸水や、ながされてきた瓦礫などによる損壊のほうが大きいのではないか、とのこと。
地形が複雑なため、かなり土地ごと、
地域ごとに被害の差がある。
「もう、かなりあれから地形に詳しくなりましたよ!」とビルドフルーガスの高田さん。
今年も変わらずに、塩竃フォトフェスティバルを開催していた。
そのおかげで、見に行った会場で地元のおじさんおばさんとも少し話せた。


旺文社から、復興支援地図というのが出ていて、特に被害の多かった地域が色分けしてあり、 復興対策本部の位置などがかかれた地図があったが、岩沼のあたりは一面オレンジにしてあった。

これから寒くなる。

考えてみると西光展がおわってちょうど一ヶ月。時間がたつのは早い早いといいながら、この一ヶ月はなんだかすごく長かった気がする。

まだ写真の整理もしてないのだが、 今朝ふと宮城、岩手の写真をながめていた。
釜石、大船渡、そして陸前高田につくころには日が暮れていて、真っ暗だった。
真っ暗で、写真はとらなかった。
とれなくてよかったと少し思う。
瓦礫も家も、片付いていた。
建物の土台が残り、砂のしたにのぞく歩道のタイルを見て、 整理された街だったんだろうなあと、思った。
このあたりは市役所とかあった所ですよ と比嘉ちゃんが教えてくれた。
真っ暗だった。

一ヶ月たった。

八ヶ月たった。

恋人ができたという友達はすごく女らしくなっていたし
双子が生まれたというレコード屋さんは相変わらず音楽もやっていた
会えなかった友達は忙しそうであったし
盛岡で会ったアイヌのひとはそのひとなりの活動をしていた
天理教やルーテル協会のボランティア支援活動が盛んだという。
友達の新聞記者は相変わらず真面目で優しく、だからこそ悩んでもいた。

芋煮。
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by tetoyarama | 2012-01-19 23:11 | oyama

20120102 新年

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あけましておめでとうございます。
昨年はその前の年からの色々を引きずりながらの年明けでしたが
今年はなんだか落ち着いて、ひしひしと年の瀬の訪れを感じながら、新年を迎えることができました。
年明けは気に入りのバッグのポッケにふちかがりをしながら迎えました。
なかなか良くできました。

色々な事だいじに。何より全部楽しんでいきたいです。
また色々な出会いや出来事が待っているのだと思います。
今年もどうぞよろしくおねがいします。

一年のはじまりに、この4月からゆるゆるとですが割と定期的に開催してきた「詩と朗読の会」
12月のときの写真をのせておきます。
様々な人が集まり、話ができて、笑えて、しっかり考えられる。
そういう場所でありたいし、そのなかから、見つけていきたいです。

そうそう年の瀬あと2分というところで一見メールが来て、明けて1時間の内に返しのメールが来ました。
とんつーレコードの次回作についてです。
なんだか 幸先のよい 年明けでした。

今年もよろしくおねがいします。
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by tetoyarama | 2012-01-03 00:07 | oyama

20110712 ノコタウェ〜

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能古の島で田植え。。に行ったらもう終わっていた。
柴田家でだらだら。おいしい煮物を食べながら、オフィスグラスゴーの安永さんとチイコちゃんと話をしたりしていた。
エゾアムプリンをはじめて食べた。こっくりと、おいしいプリン。
せっかくの休日で、ばあちゃんちに行ったみたいにのんびりしてしまった。
ノコニコ夫妻はいつ会ってもなつかしい。
実は先週の誕生日も、友達と能古の島に行くつもりが、雨だったので一応おそるおそる電話をすると
今から浮羽の養豚場とかカフェとかが一緒になったとこにいくよ、来る?という誘いにのって、お世話になったのだった。なぜか私の実家に寄って、はじめての王将にいき、祝ってもらった。
この二人と過ごせてよかったなあ。いい一年がはじまった気がした。確実に。

柴田さんが夕方陽が落ちるころに、「泥にくらい入っていかんと」といって、泥に入らせてくれた。
苗もいくつか植えました。

たんぼにいったらちょうど、晴れている空から雨が降り出して
夕日できらきらと 
一気にむわっと空気がまして
止むと後に涼しくなった。
カエルの腹がふくらむみたいに空気がふくらんだ気がする。

カエルやみみずや泥の生き物は普段苦手なのですが、
虫も、部屋に出てくると「ひゃあ!」っとなる。でもここで見ると自然だった。蚊にさされてもしょうがない。あとで風呂はいろ、って感じ。
出てこないで出てこないでくれと唱えながら田んぼに足をつっこむと、
その先からおたまじゃくしがすいっと泳いでいった。
しかししかし。ここでは私のほうがお客さんなので、
と謙虚な気持ちになった。

柴田家でよい音楽をきかせてもらった。
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by tetoyarama | 2011-07-12 00:00 | oyama

20110626 詩と朗読の会 #2

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詩と朗読の会

期日…2011年6月26日(日)
時間…18時30分より
料金…500円
進行役…小山冴子
助っ人…倉地久美夫

*写真:夕日。黄昏のイメージ=詩
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by tetoyarama | 2011-06-26 12:23 | oyama

20110417 詩と朗読の会

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毎回なにかテーマをこさえて、集まった人で話したり、声をだしてみたり、ださなかったりしてみます。
不定期開催予定の「○○の会」第一回目です。

今回は「詩」について。
それぞれに好きな詩、台詞、小説の一説、一行、自作の詩
何でもいいですが 言葉を持ち寄ります。
それを、シャッフルして自分ではない他人に読んでもらう予定です。

普段自分の頭の中でしか読むことのなかった文章を
誰かの声にだしてもらう。
言葉はいつ詩になるのか。

読まない人は読まなくてもいいです。
構えず、気軽に、参加してください。
特に気に入りの詩や言葉がなかったらそれでもかまいません。
 

*写真:3月のカルスト台地  詩=荒野のイメージ

■■■ 詩と朗読の会 ■■■

2011.04.17(sun)
19:00 start
¥500 (include 1drink)
Moderator / Saeko Oyama

期日…2011年4月17日(日)
時間…19時から
料金…500円(ドリンク付き)
進行役…小山冴子
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by tetoyarama | 2011-04-17 01:11 | oyama

抜けのある写真シリーズ

真ん中より折れ線。新旧さまざまに
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by tetoyarama | 2011-03-03 11:45 | oyama

よいことば

インタビュー読んでいて良いことば があったのでメモ。

+++++

最後に我々、芸術を学ぶ学生や若い作家に何か一言お願いします。


 論理のないものはだめだと思う。論理的骨格っていうのはアートにとって最も重要なものの一つであると。アートは分からないものです。定義不能、絶対的な謎であって、唯一形容すると「背筋が寒くなるようなもの」とかになる。そういう言い方しか出来ないもので、論理だけでは解明できない。けれども、「アートっていうのは感覚的なものなんだ」と言ってしまうこと自体がどうしてダメなのか。アートは言葉にできるものではない、とか、論理で語れるものではないとか。それは要するに、「何でもない、不思議でもない」って言ってるのと同じ。論理的に思考しないというのは、謎が表面にしかない。でも論理を突き詰めてギリギリなところまで行った時に、その向こうに謎がある。考えれば考えるほど、わけのわからないものが深くなっていく。でも、途中でやめてしまえば、謎はそこまで。つまらない謎で遊んでるだけになってしまう。だから作家たちがどれだけ深いところまで思考していったか。ウォーホルとかピカソとか、彼らの書いた文を読むと、いかに彼らが深く考えていったか、いかに論理的に徹底的に追求していったかというのがわかる。だから、論理的なものを大事にしてください。非論理的なものをますます偉大にするために。

建畠哲/(PLUSOPIS No.07 特集トリエンナーレ 建畠哲インタビューより)
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by tetoyarama | 2011-01-02 17:52 | oyama

Maher Shalal Hash Baz 塩ケ森映像プロジェクト

年があけてしまいました。
まだ去年の記録もろくにできないままです。
でも少しずつ自分が関わったものくらいは残していこうと思っています。


去年はマヘル・シャラル・ハシュ・バズに参加することが何度かありました
その中で映像を使ったプロジェクトがあって
それがはじまったときのことを書きました。

塩ヶ森映像プロジェクトについて

プロジェクト なのか?不明ですが
9月の大木裕之ACTIONと工藤さんとのパフォーマンスはこのへんから現実化してきたような気がしています。
とりあえず。
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by tetoyarama | 2011-01-01 16:11 | oyama

小山が居ります(仮)

ブログを更新しなくなって大分経ちます。
更新したいしたいと思いつつ、それよりも色々やりたいことややるべきことに時間をさかれつつ
考えごともたくさんです。
そのような中、釜山に行って展示をしてきました。
福岡と釜山の交流展ということで、他の4作家と友に釜山までいってきました。
このことについては12月16日にアジア美術館のアジ美ホールで報告会がありますので、そのときに報告する予定です。(でも ほぼ珍道中的な話になるような気が・・・)
釜山の話かきたいですが それはもろもろの作業が終わってからにして。

来週、釜山帰ってから何かするかなと思っていて、(それ以前に本当はスウェーデンの作家が来る予定だったというのもあり)、バイトの時間を展覧会に会わせて短縮希望だしていました。家ではダラダラしてしまうので、テトラで作業をすることにしました。そして、どうせずっと居るのなら、何か人が来て話したりとか、ライブしたい!しよう!となって翌日開催するとか、なんか、変なことがあるといいなあと思いつつ
とりあえず、「うちの小山が居ります」と宣言することにしました。

詳細の中に書いていますが、実はこれまで撮ってきてるビデオが膨大にあります。
聞きのがしたあのトーク、いきそびれたライブ、などなどもあるかもしれません。希望があれば
選んでみれるようにしようかなと思っています。
ただし全て未編集です。

記録データのリストを見ましたが、去年の12月でとまっていて、
まず1年更新していないのにびっくりしました。今年はブログの更新もせず、なんだかバタバタしたり呆然としたりしていたような気がします。
そしてリストを見て驚いたのは、「○(しろたま)」リリースまでにかけた時間でした。(特にかけた、というわけではないですが作家との関わりの中でリリースに繋がったわけで、全部どこかへ繋がっていくんだなとそんな風に思います。)梅田哲也さんのライブは特に充実しています。
今年は工藤冬里さんと大木裕之さんを見にいくことが多くありましたが
これは後にどこに繋がっていくのでしょうか。まだまだ時間がかかるような気もします。


以前大木さんイベントを見に来た、小西小多郎さん(元AD&A 現コーポ北加賀谷)が言ってました。
「本当にその人自身を見て何かを残すとなると、時間も情熱も、体力も居る。一人か二人が精一杯だし、そうじゃないとできないですよね。」
良い言葉だと思いました。

それはさておき。

何かあってるようなあってないような
とりあえず私が居ます。

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小山が居ります(仮)


期日2010年12月14日(火)ー2010年12月19日(日)
平日16時〜20時/土日13時〜20時
※17日と18日は夜にイベントがあります。詳細はtetraサイト内の他の頁へ。
※16日夜は、アジア美術館のアジ美ホールにて、先日訪問した韓国の報告会に参加しますので不在です。


とにもかくにもテトラの小山さんが常駐しています。
小山さんは文章書いたり考えたり本読んだり編集したり焼酎飲んだりテープ起こししたりしているのだと思いますが
訪れる人を待ってもいます。
何かやりたい人を待ってもいます。
録音したいとか練習したいとか ライブ急にしたくなったとかでもいいです。
ただし機材はありませんから生音でお願いします。
ただ喋りにきてもいいし、酒もってきてくれてもいいし、テトラのメンバーになりにきてもいいです。
アイデアがあったらイベントになるもよし、飲み会になるもよし、一年を振り返っても良し。

また小山さんがビデオを持ってから(2006年6月以降)の記録などもありますので
聞き逃したライブやトークやあれやこれや
これまで個人的に撮ってきた映像なども 希望があれば見れます。
聞けます。
レア映像も多少あると思います。

何かやりたいなーと思っていた人
この機会に手を挙げてみてください。


情報は随時ツイッタ—で
https://twitter.com/oyamasaeko
お知らせしていると思います。


別に何かやっているわけではありませんが
ただ人を待っています。
自由に使える場所があるのだから
使わない手はないです。
何のおもてなしもないですが、
珈琲くらいは ありますかも。
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by tetoyarama | 2010-12-13 01:47 | oyama

塩ヶ森映像プロジェクト

Maher Shalal Hash Bazの曲で「塩ヶ森」という曲がある。
2007年に発売された「他の岬」というアルバムの中に入っているが、もともと2003年に書かれたBlues du jourというのが元となっている。(たぶん)


6月は大阪で見たい展覧会があって、行く機会があった。
いつも 展覧会やイベント1つでは交通費がもったいなくて行けないので、いくつかタイミングを合わせていくのだが
このあたりで京都でも見たい展示があったし、ちょうどプリミ恥部の平岡香澄ちゃんらの
大阪を離れる前の上映会+ライブが連続でライブ出演者を換えてあっていて、
工藤冬里さんが出演するということだったので、行ってみた。
このイベントは翌々日が梅田哲也の日で、やっぱりそちらも見たかったけど、
他の日程やらバイトの休みなどで断念。
会場に行ってみて、なんだか話の流れでパンダの着ぐるみを来てドラムを叩いたりした
(というかパンダの着ぐるみでうろころしていたらスティックをもたされた。楽しかった。ありがとうカスミン。赤ちゃんもおめでとう。)
のだがそれは置いておいて、
そのときに工藤さんと6月の大分と映像について話す機会があった。

6月22日と23日は 大分と別府でマヘルのライブが決まっていて
今回は福岡公演がないようだったので、参加していいですか、という話をした。
そのときに出たのが、映像を使えないかという提案だった。

マヘルの「塩ヶ森」という曲。これは

タ・タタ/タ・タタ/タ・タタ/タ・タタ/
タ・タタ/タ・タタ/タ・タタ/タ タ タ タ/

と四分の四拍子で進んでいく曲の、8小節目、最後のタタタタの四拍の3番目が微妙にズレて、
そしてまた元通りに帳尻を合わせて進んでいく曲。回数は不明。無限に続くような時もある。

工藤さんによると

これは長年やってきた曲で、この最後のタタタタの「ズレ」を共有することでマヘルは一つの共同体として
動いてきたんです。と。(確かそのような話だった)
この「ズレ」は、「ロック史」に基づいたズレであるという。
最近ではmax/MSP/jitterとかがはやっていて、映像と音楽を同期させることが
プログラムを組めば簡単にできるようになっているし、やっている人も多い。
それで山口の人らなどは出てきているわけだけど
彼らには「ロック史」(文脈や背景)が欠けている。だから強度が無い。

というのが工藤さんの主張で。(言うまでもなく「山口の人ら」って・・・)
今回は「映像のエフェクト、ロック史に基づいたエフェクトをかけたい」、ということだった。

この「ロック史」については、陶器展の時もたびたび出てきた単語で、塩が森のこの提案を聞いたときの私も
「工藤さんが言うのだから、何か歴史上の理由があるに違いない」などと思っていた。
かつ私は音楽の歴史については全く分からないので、このときは何もつっこんで聞いたりはせずにいたものだけど、
後々聞いていくと、全て工藤さんの思い込みの地平にあるものというか、
「これはこうだ」という決めつけ(といったら言い方は悪いけど)のもとに作られていった概念で、
でもその「ロック史」という概念が工藤さんの中には一本譲れないものとしてあるわけで
面白いなと、今も思うし鬱陶で陶器の話を聞いたときも思ったのだった。
そしてそのロック史を軸に、何か撮れないだろうかとも考えているのですが、それはまた別の話として。

「ロック史」が工藤さんの誤読や思い込みから生まれた考え方だというのは12月に行われた辺境プロジェクト(この日記は後日書いています)で少しだけ明らかになるのですが、
そもそもその「ロック史」というのが実際どういうものなのか、というのはまだ私にもぼんやりとしか分かっていないので、今後整理して聞いてみたいところです。

ロックは終わりからはじまった
そして転がり続けている
全ては「ロック史」なんです。
何が評価されるか、歴史に残るかというのは。

ウォーホルはベルベッツと一緒にやることで認められた。

+ + +

e0143051_13495236.jpg私が映像をよく撮っているということもありこういう話があったのだろうと思う。鬱陶の時もずっととっていた。ただの飲み会でも撮っていたしカメラはよく持ち歩いている。
はじめは このズレに合わせて画面がビカーと光るとか、16分割するとか
そういうエフェクトを想像して言われていた。(写真参照 工藤さんによるメモ)
でもそういったものはおそらくVJソフトとかが必要で自分は使ったことがないので 難しいかなとも思っていた。
そして、正直それは かっこいいのか・・・? とも。
でもきっと工藤さんには 外見のかっこよさよりもコンセプトのほうが重要で、
今回は「ズレ」と「映像」が結びつくところが重要なんだろうと思った。
そもそもマヘルシャラルハシュバズも、そのようなバンドだと自分は思っている。
コンセプト。
誰でも参加できる。楽器ができれば。できなくても良い。
常に開かれており、様々な人が参加して、そうなるとやっぱり楽譜通りにはいかない。
エラーやノイズが多く入るが
それをどのように取り込んで、受け入れて、反応し、まとめあげていくか。
開かれたものは閉じることはできない。

以前のこのしまの夫妻と車で松山まで行ったときに、工藤さんとシバッチさんが運転席で話しているのをじっと聞いていたことがある。
そのときに、マヘルの話をしていて、工藤さんは「僕は完璧主義者なんです」と言っていた。
曲を作るときに、その曲の音の形、響き、息づかい。音が音として立ち上がるときの
その瞬間のはじめの音の鳴り方まで頭のなかに像としてできていて、昔はそれをそのまま現実に現そうとやきもきしていたのだという。
でも当然そのようなことは無理なことで。
だからこそ、それはもう幻想のものとして諦めて、諦めた上であえてエラーが出るようなやり方をしている、
というのは工藤さんの言葉ではないけれど思うところ。
エラーや間違いさえも、肯定も否定もせず、ただ曲の中に取り込んで行く。
マスター・オブ・ミステイクってそういうことではないか。
だからマヘルは誰でも参加することができる。むしろ 部外者が入ってエラーを出す事で曲は更新され続ける。
毎回違うものになる。成長し続ける。でもそこには美しいメロディと、リズムと、工藤冬里というコンダクターが居て、確かに全体を掌握していく。
最近素数というものをよくいうけども,要はそういうことで
一つ一つの素数が集まってマヘルを形成していく。それは あくまで個のまとまりであって集団ではない
個があつまって共同体になる。素は個なのだから、個性=エラーが出るのは当たり前でむしろそれを望んでいる。

マヘルも工藤さんにとっては表現の一つの手段なのであって、やっぱりロックに基盤をもっているが
それだけに限らない。それはロック史という一つの基準があるから
ではないか。とか。
では「ロック史」って何だろう。
とにかくやってきたこと、や自分のビジョンがある人ってやっぱり強い。

よく言われることですが
私がある特定の作家に反応したりする。他には何も反応しない。
それはどこかしらその作家たちに共通点 もしくは自分にしか見えないものかもしれないけど共通項を感じているんだと。
何でこんなに気になるんだろうかとか、何でこんなにいい作品だと思えるんだろうかとか
色々考えるけれども、それはとにかく関わりながら作品を見ていくことで掴んでいくしかないと今は思っている。

この「ロック史」というのも、自分の中に響いているのだろうか。

福岡に諸岡光男という、テレビを使ったノイズミュージックをしていて、最近はプログラミングして映像と音楽を画面上で手でまぜていくような 興味深い演奏をしている男がいる。
工藤さんははじめ「諸岡くんそのへん詳しくないかなぁ」とか言っていたのだけど、
でもこれは私がやりたいと思った。
工藤さんと初めて何かができるんだ、とそのとき思ったのだ。

「ちょっと考えてみます」
そういってその日は帰って、
予定を済ませて福岡に帰ってからいろいろと模索。
はじめはVJソフトか?と思って人に聞いたりお試し品をいれてみたりもしたのですがやっぱりダサイ。
そしてサンプル品は途中で「これはサンプルです」みたいな表示がバーンと出てしまって
どうにもならない。
でもお金を使って買ってもなにか違うのではないか。
そんなに完璧にして それはちょっと違うのではないか。
というか マヘルの音楽で映像だけキワキワってどうなんだろうとかぶつぶつ考えたりしていた。
一方で、最近OHPを使ってVJをする人が多く居る。OHPiaもそうだし、田川の宋さんなんかもよくやっている。
これはとても楽しいしアイデア次第で何とでもなる。
イメージとしてはこちらが一番合ってる。
ちょうど先日Deerfoofが福岡に来たときに、長崎のrocoさんがVJをしているのを手伝ったことがあって、
OHPはそのときに使って遊ばせてもらっていた。
でも長崎から借りるわけにいかないし。

考えたのは誰でも実現可能で、機材もごてごてしいのは要らずに、できないかということ。
移動が多いバンドにとってはそれも一つ重要なことだと思う。
そしてOHPって画面上の映像を要は鏡で反転させて光で増幅して投影している・・ようなもんではないかと思って
つまりプロジェクターで映すのであれば カメラで取り込んでそれを投影、ということと同じことなのでは
という変な考えで、カメラに直接かざせばいいではないか!という結論に達した。(鏡をとっぱらっただけです。要は。)

そして本番の別府タワー。
工藤さんにも内容を説明し、
本番前、タワーに向かう前に百均に寄って素材を物色。いくつかのガラス皿とビニールシート、
そしてビニール袋を手に入れて下準備。
結局 これできるかな?と皆で作ったえのぐ水は光が通らず使えなくて
テトラから持っていった分厚めのガラスの皿と、コップの底がかなり役に立った。

直接かざすんです、ということに「それはいいアイデアですね」と喜んでくれた。
スクリーンが小さくて斜めにしかならなかったときに、
私としてはスクリーンなんてなく、照明的に演奏者に当てる感じでもいいのかなと思ったのだが、
それを言うと
「なんでですか」
「でも作品なんだから斜めじゃ駄目じゃないですか。」
と不機嫌そうに言った工藤さんがなんだか印象的だった。
「作品」なんだなあ。
(結局スクリーンは無事に設置された)
終わったあとに、「これは歴史に残るよ」と言った。

この映像のプロジェクト(?)はその後も何カ所かで行われている。そのあとの広島でもされていたそうだし
(このときの映像は主催の倉元さんに送っていただきましたが、普通にプロジェクターでの照明のようになっていた・・・うーむ)
沖縄ツアーと、11月の辺境プロジェクトでもあった。
また12月はイギリスで工藤波夫さんらが効果を担当してやっていたらしい。
そういう話を聴くと少し嬉しくもなる。

この後、何度か映像について話すことがあった。
もしくは 写真と映像について。まあ大抵「どう思いますか」とふられて応えられずに終わるような。
私が気にして見ている大木裕之さんも工藤さんは知っていて、12月の個展のときに大木裕之について語ったことがあった。
工藤さんはVimeoというサイトでデジタルハリネズミで撮影したビデオをこの春からアップし続けているというのもあって、
http://vimeo.com/album/244706
大木裕之と関連して考えることも多くなっていった。
それは9月の大木裕之ACTIONに繋がっていく。のだった。

ズレや誤読や深読みや辺境 などなどのキーワードがたまっていく。
でもたまっていくものは捨てられたもので まだまだ工藤冬里さんはどんどん先にいこうとしている気もする。
おいついてその先を見てみたい とも思った。


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by tetoyarama | 2010-06-23 00:00 | oyama


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