てとやらま

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2011年10月の日記

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先日プロジェクトFUKUSHIMA!を手伝っていた知人とゆっくり話す機会があった。
そのとき、やっぱり実際に見ないと聞こえてくる情報だけじゃ伝わらなかったり見えなかったり
本当には分からなかったりすることってたくさんあるんだなと いう話をした。

去年のことになりますが10月に東京経由で仙台/盛岡まで行ってきた。
そのときのことを全く何も書いていなかったのでfacebookに書いたものを転載しつつ、記録としてメモをしておく。

今回は本当に、東京の用事と、人に会うのとで、時間的余裕もなく、
本当に、「見るだけ」になってしまった。
これについてはどこか変な罪悪感みたいなものをなんとなく感じてしまっていて
しかしそれもどうなんだろう、と思う部分もありながら、でもとにかく見ることがまず始めだった。

東京には もう本当に当然のことのようにしてマスクを装着していったのだが、行ってみると誰もマスクをしている人なんていなくて、とまどった。横浜では子供が道路にごろごろ転がって遊んでいるし
関東に放射線物質は、どうなっているのかと心配になったし「マジで?」みたいな心境だった。

仙台へ向かうバスは福島を通る高速バス。仙台まで5時間ほどかかるのでとコンビニに寄ったら当然のことなんだけど、茨城でつくられたおにぎりしか並んでいなくて、「え・・」と思った。選ぶ余地がなかったのだ。
いや、茨城の工場だって、大丈夫とは思う。でも、もうなんといったらいいか分からない。自分の言葉がやけに無神経にひびく。しかし正直、「本当に大丈夫なんだろうか」という気持ちがあるのは本当である。
そういうちょっとした、ちょっとしたことがたくさんあって、やはりどんなにか遠く感じていたのかということや
情報がないからこそ分からなくて色々疑ってみてしまうところや、でももしかしたらそのほうがいいのかもしれない、というような迷いもあり、
なんだか自分でもよく分からなかった。

九州にいると、九州の野菜が手に入る。なんとなく今の自分は、生菓子など特にだけど
製造工場をチェックしてから購入するようになった。食べるお米は熊本のばーちゃんちで作られたお米。
福岡産の野菜。古賀の工場で作られたケーキ。
こういった事がどれだけ有効かわからない。
福岡の工場で作られていたとしても原材料がどこから来たかなんて分からないからだ。
同じことかもしれない。
でも、そういった状況よりも、もっと狭まっている。
そういう、「選ぶ」ということすらできない状況。
テレビでは九州から「お取り寄せ」をするお母さんたちの奮闘が時々流れている。
でもそういう人ばかりではない。
「おなかすくししょうがない」と思って購入する。
もちろん安全だと思う。たぶん。でも、いや、わかんない。
そのわかんなさにプラスしての、選べなさ。
でも絶対お腹すいて動けなくなるし、と思って買った。

盛岡は美しい町だった。仙台もかわりなく、懐かしいところだった。

メモ。

10/11 マイルの飛行機で東京へ。横浜トリエンナーレを見る。黄金町の小沢剛作品。
10/12 東京散策。美術館系には行かず、とにかく歩く。夜ぷりぷり企画イベントにいく。工藤冬里と大木裕之
10/13 仙台へバスで向かう。福島の美しい畑が目にはいる。18時着。友人と会う。喫茶ホルン、smt
10/14 塩釜ビルドフルーガスへ。例年通りフォトフェスティバルがあっている。おかげで地元のおじさんおばさんと話す機会ができた。神社へお参り。古本&喫茶の「火星の庭」へ。盛岡へバスで向かう。23時着。比嘉ちゃんと再会。
10/15 比嘉ちゃんと、遠野を通り、釜石、大船渡、道を迷いつつ海沿いを南下。陸前高田。何もない。夜「くうや」へ。
10/16 盛岡散策。アイヌ雑貨upopoでアイヌの人の話を聞く。東北ではアテルイが英雄。じゃじゃ麺。光原者。夜行バスで東京へ
10/17 朝東京着。ベルク→模索舎 疲労のため便を早めて夕方福岡へ帰宅。

■■■以下はfacebookよりの転載■■■
========
■10月13日
きのう、ぷりぷり誕生日イベントにいった。

久しぶりに会うひとも多く、工藤さんや大木裕之さんも出てた。
なんとなくわざとのように、誰にも言わずに行った。

いろんなバンドやDJが出てた。工藤さんのは前半妙なおもしろさがあって、
決まってない演劇みたいな。ビデオとったけど、これはちょっと考えよう。

ヒゲの未亡人、最後の最後のたたみかけが素晴らしく、泣いた。涙です。
こんなとこでまさか泣くとは思わなかったな。
昔の手紙を思い出したりしていた。
愛ー。

そして、

スカイツリー合唱団。これは、すごかった。合唱に演劇的な要素を加え。
環状線と交差して、皇居から伸びる道路、放射線。放射線を通って、スカイツリーを見に行ったんだ。その日常会話を挟んだあとの、二回目のメロディーは、異様に重くのしかかった。みんなの笑顔ものしかかった。


いつもの空の下
いつもの君がそう
笑う

いつもの空の下
放射線の雨が降る
降る


気づかなかったよ
いつからこんなに
大きくなってたんだろう

放射線は風にのって雨になって
君の髪を濡らす
僕はそっとその髪をなでる
そしてねむい目をこする


聞きながら、いろんなことが頭をよぎった。毎日えらぶ産地、野菜、店に入ると、この野菜どこ産なんだとどこかで気になる。東京に、マスクをしてきた。でも誰もマスクしてなくて、少し驚いた。分からない、大丈夫なの?見えないから、不安がある。横浜で、子供が道路で寝転がってゴロゴロ遊んでいた、
その日、横浜に高い数値が出た

たくさんの時間や場面が過ぎ去っていった。

おなじ時間軸で同じ場所のはずだったのに。

いつもの空の下
放射線の雨が降る
君が笑った。

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■10月13日14:30
バスで仙台へ向かっています。途中で栃木と福島を通る。

田んぼが広がっている。
黄金色の。

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■10月15日
盛岡から、遠野を通り、
釜石、大船渡、陸前高田へ。

なにもない、ただ野原と、石と、電柱が広がっている陸前高田。


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■10月19日
昨日の夜、かえってきました。盛岡から夜行バスで東京につき、疲れて何もするきにならず、月曜だし、ということで歩いて歩いてIRAに12時ごろ着いてしまい、閉まっているのでやめてひきかえして模索舎へいき、本を物色。
自主制作本が多くあります。

本を時間をかけて見ていると、昼過ぎから来た神山さんにも会えました。

ベルクでごはんを食べ、空港に向かい、予約した便を早めてもらって そして福岡へ。

双子で酒をのみました。なんだか色々考えた旅。

盛岡には雑貨屋を営むアイヌの人がいて、そうか多賀城か、と思ったり。
北はえみしといわれた場所で
しかしそれは=(イコール)日本の原住民のことで
と考えておりました。
アテルイは英雄。
読みたい本や知りたいことがたくさん。遠野物語も読んでない。
アイヌの人は、
奄美の人と、顔が似てるかもしれないと思いました。日本にもともと住んでいた民俗は
呼び名は違うけれど同じ民俗だったのかもしれない。
とかふと思いました。

模索舎で買った
「砂漠」というジンに、yumbo渋谷さんと、ダダカンのインタビューがのっていました。食についての話題です。
まだ途中までしか読んでないけど、山下ひかるさんとかも載ってます。
おもしろそうです。

自主制作本特集の会をしたいな という話を しました。
一日模索舎、とか。

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■11月11日
車を借りに、実家へ向かっている 思えば10月はかえらなかったので、珍しく父から、

仙台はどうやった無事に帰ってますか

というメールが、いつだったか届いた。(句読点なし!) が、それも二週間くらいスルーしてた。 姉から 父がさみしがっているから返信するように、というメールが届いた。
父よ、 すまぬ。

写真は忘れたが、帰って色々話をしよう。
父は昔 岩沼の航空大学校で教えていて、あのへんに住んでいて、私も双子で遊びにいったりしていた。そのときは仙台空港に降りたんだった。降りてすぐ豪華な海鮮丼を食べさせてくれた。
海が近いのかーと、思った。
今回岩沼にはいかなかったのが少し悔やまれる。

路線図をみると、あのあたりは電車が一部復旧しておらず、バスで代行運転をしているようだった。(10/14時点)

ちなみに仙台から松島海岸まではつながっていたが、その先の気仙沼までも代行運転だったと思う。
塩竃は港町たが、半島が湾にかぶさる様になっていて、その半島が津波を直接うけたが、塩竃自体は津波というより、浸水や、ながされてきた瓦礫などによる損壊のほうが大きいのではないか、とのこと。
地形が複雑なため、かなり土地ごと、
地域ごとに被害の差がある。
「もう、かなりあれから地形に詳しくなりましたよ!」とビルドフルーガスの高田さん。
今年も変わらずに、塩竃フォトフェスティバルを開催していた。
そのおかげで、見に行った会場で地元のおじさんおばさんとも少し話せた。


旺文社から、復興支援地図というのが出ていて、特に被害の多かった地域が色分けしてあり、 復興対策本部の位置などがかかれた地図があったが、岩沼のあたりは一面オレンジにしてあった。

これから寒くなる。

考えてみると西光展がおわってちょうど一ヶ月。時間がたつのは早い早いといいながら、この一ヶ月はなんだかすごく長かった気がする。

まだ写真の整理もしてないのだが、 今朝ふと宮城、岩手の写真をながめていた。
釜石、大船渡、そして陸前高田につくころには日が暮れていて、真っ暗だった。
真っ暗で、写真はとらなかった。
とれなくてよかったと少し思う。
瓦礫も家も、片付いていた。
建物の土台が残り、砂のしたにのぞく歩道のタイルを見て、 整理された街だったんだろうなあと、思った。
このあたりは市役所とかあった所ですよ と比嘉ちゃんが教えてくれた。
真っ暗だった。

一ヶ月たった。

八ヶ月たった。

恋人ができたという友達はすごく女らしくなっていたし
双子が生まれたというレコード屋さんは相変わらず音楽もやっていた
会えなかった友達は忙しそうであったし
盛岡で会ったアイヌのひとはそのひとなりの活動をしていた
天理教やルーテル協会のボランティア支援活動が盛んだという。
友達の新聞記者は相変わらず真面目で優しく、だからこそ悩んでもいた。

芋煮。
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by tetoyarama | 2012-01-19 23:11 | oyama

20120102 新年

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あけましておめでとうございます。
昨年はその前の年からの色々を引きずりながらの年明けでしたが
今年はなんだか落ち着いて、ひしひしと年の瀬の訪れを感じながら、新年を迎えることができました。
年明けは気に入りのバッグのポッケにふちかがりをしながら迎えました。
なかなか良くできました。

色々な事だいじに。何より全部楽しんでいきたいです。
また色々な出会いや出来事が待っているのだと思います。
今年もどうぞよろしくおねがいします。

一年のはじまりに、この4月からゆるゆるとですが割と定期的に開催してきた「詩と朗読の会」
12月のときの写真をのせておきます。
様々な人が集まり、話ができて、笑えて、しっかり考えられる。
そういう場所でありたいし、そのなかから、見つけていきたいです。

そうそう年の瀬あと2分というところで一見メールが来て、明けて1時間の内に返しのメールが来ました。
とんつーレコードの次回作についてです。
なんだか 幸先のよい 年明けでした。

今年もよろしくおねがいします。
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by tetoyarama | 2012-01-03 00:07 | oyama


art space tetra    とんつーレコード     小山の小さくも山のような日々
by tetoyarama
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