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てとやらま

2009128 工藤冬里 「鬱陶ーマイナス茶碗ー」

2009128  工藤冬里 「鬱陶ーマイナス茶碗ー」_e0143051_22121863.jpg工藤冬里 『 鬱陶 ─マイナス茶碗─ 』

会期...2009年12月8日(火)--20日(日)
会場...art space tetra(福岡市博多区須崎町2-15)
時間...平日16:00-20:00 /土日祝 13:00-20:00 *12/8のみ13:00-18:00

*12月8日は別会場にてライブイベント開催のため、開廊が13:00-18:00になります。
*12月20日はMaher Shalal Hash Bazライブのため、16時ごろよりリハーサルをしている可能性があります。ご了承ください。

70年代よりアンダーグラウンドな音楽シーンで活動を続けてきた工藤冬里。ピアニストであり、作曲家でもあり、つまり音楽家である彼は、その一方で愛媛県松山市に窯を持つ陶芸家でもある。
今年は『鬱陶』というテーマでツアー形式の展覧会を各地で開催、展示やライブパフォーマンスを行ってきたが、福岡はその最終地点となる。

工藤さんを見ていると、不器用に、しかし鋭い目線をもって、音と、それを取り巻く社会と向き合ってきた人のように思う。
この作家がどのような器を作るのか。ぜひ見にきて、そして手にとってみてください。(文責/小山)

関連イベント

★2009年12月8日(火) 『水族館のくさむらに』
時間...開場19:00 開演...19:30
会場...箱崎水族館喫茶室(福岡県福岡市東区箱崎1丁目37-21-1F)
料金...1500円
出演...工藤冬里+工藤礼子
  いんぱらのヘソ

* * * * *
工藤冬里と工藤礼子のデュオ。小振りなグランドピアノのある喫茶店で。
ピアノの響きと、細く渡る風のような歌をおききください。
福岡からは、ピアノや口琴やらを使った3人組による、いんぱらのヘソが登場します。


★2009年12月18日(金)工藤冬里 ソロ(予定)
詳細はもうしばらくお待ちください。

★2009年12月20日(日)Maher Shalal Hash Baz
時間...開場/開演19時
料金...1500円(1ドリンクつき)
会場...art space tetra

Maher Shalal Hash Baz (マヘル・シャラル・ハシュ・バズ)
70 年代から日本のアンダーグラウンド・シーンで活躍する工藤冬里が率いるバンド。ギターの弾き語りから、ブラスをフューチャーした大アンサンブルまで時と場所により形を変え、演奏も様々な人々が参加する。シンプルで美しいメロディーの楽曲と今にも破綻しそうな演奏の絶妙なバランスが特徴的で、海外のプレスからは「Master of Mistake」の称号(?)を得ている。Mayo Thompson(Red Crayora)、Pastelsらも熱狂的なファンであることを公言し、Jad Fair(Half Japanese)はアメリカでのMaherのライブを最前列のかぶりつきで楽しんだと伝えられている。そのPastelsのレーベル、 Geographicから発表した『From A Summer To Another Summer (An Egypt To Another Egypt) 』(2000)、『Blues Du Jour (今日のブルース)』(2003)の2つのアルバムで広く海外にも知られ、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなどでもツアーを行っている。

工藤がアルバムスリーブノートで述べているように、切なく、はかなく、ナイーブで、失敗と希望にあふれたマヘルの音楽は、「僕達の不完全な日常」にあまりにも似すぎている。


食べるとホロホロと崩れるクッキーのように、その音楽は優しく、懐かしい温かさに満ちている。(小山)









小山様

マイナス茶碗は、サボテン学の権威、龍膽寺雄先生の文章から取ったものです。

インド六派哲学は、「原因はそれ自体のなかに結果をもっている」とみなす唯名的な因中有果論と、
「原因はそれ自体のなかに結果をもたない」という実在的な因中無果論に分かれました。

たとえば粘土から茶碗を作ろうとするとき、粘土には茶碗と呼ばれる原因が最初からあることになる。
一方、いくつかの欠けた陶片ををうまく合わせて作った茶碗のようなものは、
元の粘土に原因があったわけではない。  

陶器師と粘土の関係は、イザヤ書29章に詳しく述べられています。
それによると、私たちは粘土で、陶器師は神です。
from a summer to another summer という曲は、そのことを扱ったものでした。

だから轆轤で形を造ると、それはそれは消耗します。まるで自分がアダムを形作るかのように。
役者に「動くな、死ね、甦れ」という監督のように。

白山陶器を見にいったそうですが、それは150年来の世界的産学協同体制のユートピア幻想に過ぎない。
不完全な人間の造ろうとする茶碗は量産してもしなくても負の要素を必然的に持たされていきます。
大里がとうとう「音楽」が出来なかったのと同じように。

僕は更に、磁器と陶器は違うのではないかという観点をもっています。

磁器は実在的、陶器は唯名的に作られるべきだというのが僕の考えです。

そのことは、磁器はパーツを貼り付けてよい、とした走泥社一派の態度と共通します。

それで今回、磁器は欠けたパーツで作られ、庭の土は俎板のように不完全に投げ出されることになります。




工藤
by tetoyarama | 2009-12-07 00:00 | oyama
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