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てとやらま

7/15 山笠

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そもそも福岡という地名は黒田家の出身地にちなんでつけられたもので
もともとは博多という商人の町であった。
とまあこのへんは播磨灘物語。

福岡といえば博多
博多といえば山笠。

art space tetraは山笠の中心?山笠廻り止めのすぐ近くにある。
山笠を簡単にいうと、町ごとに(この区画も昔ながらのものなので、いまいちまだ私にはよくわかってない。なんといっても山笠を見るようになってまだ3年目なのです!)
神輿があり、15日の追い山当日には朝4時59分を合図に、
山笠が順番に 博多の総鎮守・櫛田神社にはいり(櫛田入り)、そこから出発して町の中を神輿をかついで走り、
ゴールへのタイムを競う。

そのゴールが廻り止めであり、つまりテトラの斜め裏の石村萬盛堂のあたりなのである。

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7月1日を迎えるといよいよ山笠本番。
15日の追い山に向けて流れかき、追い山ならし などなど 毎日のように山笠が動く。町には飾り山が登場し、ふんどしの男達があふれ、かなりの賑わいです。
はっぴも組ごとに違うらしく、デザインもいい。上のはっぴは「すノ一」のはっぴかな。

山笠が櫛田入りする順番は毎年かわる。そして今年はテトラのある「大黒流れ」が一番山かさ(いちばんに櫛田入りする山笠ということ)で、しかもテトラのある地域は大黒流れの中でも須崎のすの一という組で、(ちなみに待ちの名前は須崎町です)
今年はここが当番町。
ということで 今年はテトラを出てすぐの所に山がたった。
詳しい人の話によると一番山笠と当番長が重なるのは84年に一度??らしい。
(あいまいですが。間違っていたらすみません。)

この日は テトラにて滞在製作をおえ、帰国を控えたギャビンと山笠見物。
流れかきのときも 熱心に男達が山を担ぐのを見ていたギャビン。
山笠の予習もしてきているらしい。

9−22時の13時間のアルバイトをおえ、テトラへ行くとやはり誰もいない。
事前に家で睡眠をとって 24時すぎとかに来る というのが慣れた人の方法。
しかし町としてはこの夜はほとんどの家がおきていて
もちろん 準備がはじまっている。

本当は 不幸があった家いえをまわってする儀式だとか、
若い者が 年長のお偉いさんをおこしてまわるとか、いろいろあるのだけど、まだそこまではまだ私の頭にはいってないので、あとからテトラの山笠担当・日本文化通はっちゃんに聞いて
来年は見よう!と思うだけなのですが。
とにかく。

櫛田入りを見るために櫛田神社へ向かう。
人人人 人の波。祭りだ。人ごみは嫌いだけど祭りなら好きだというこの矛盾。
たくさんの人 山笠のアナウンス。隣の居酒屋、ちりとりの大将が今日はいつもと違う。顔は赤いが表情は堅い。
4時59分になるとともに、大きなかけ声と太鼓の音、一番山かさの櫛田入りで、
ここで「祝いめでた」を唄って出発である。
一目見ようとぎゅうぎゅうになっている観客も一緒に唄う。
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山笠が出発すると 見物人は三々五々、わかれていく。
山笠のコースは意外なほど長く、間にいくつも形式があって
見所も多いらしい。今回は ゴール近くの(テトラのまわりは古くからある問屋街でもあるのだが)町の四つ角にいき、大黒流れが来るのを待ち、それが角を曲がって通りすぎたのを見届けてからテトラ前へ。ゴール前はたくさんのお客さんに、取材のテレビカメラが何台も何台も 中継車などもあって、ものすごいことになっている。

山笠はまだ3回しか見たことがないが、年々人が増えている気がする。

歩きつかれたので(どうやらギャビンも) テトラの2階から山笠観戦。
いきおいよくかけられる水 かけ声。
早いところは本当に早くて、そのたびに歓声があがる。

夏の風物詩です。




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16日にギャビンお別れパーティがあり、
17の早朝にギャビンは帰国します。

1ヶ月早かった。
私はYCAMに居た期間もあったので、
ほんとに少ししか会っていない気がする。
「山笠担ぎに戻ってくるよ」って言ってたかな。

ギャビンは国にかえり、
その後、イギリスの大学院に通うのだそうです。

「学校を出たら何をしようと思ってる?」(みしま)
「アートだよ」(ギャビン)

GAVIN WEBER

美術をずっとやってきて美術の教育もうけてきて技術もある。
ギャビンには迷いがあるのだろうか。
自分の仕事はアーティストとして作品をつくることだと
言い切る。言い切れる。自信もある。
経験と知識と技術と信じること。彼の中には、そして多くの美術家の中には、確固とした「美術」というものが存在しているのだろうと思うけれど、それは何なのだろう。
具体的な形を持っているのだろうか、言葉で言えるのだろか、イメージであるのだろうか。
さて 自分は何なんかいなと考える。
なぜ 場所をもっているのか。何のために?そしてなぜこのようなことに関わっているのか。

「小山さん、美術嫌いでしょ」と言われたことがあった。
それに対して
「良い作品を見たこともないのに 好きとか嫌いとか言ってんの?馬鹿じゃない」と言われたこともある。同じ時期だ。独自性が出せないならアートなんてやめてしまえ とも。
どちらの台詞も尊敬してやまない人たちからの台詞。
前者の台詞は もう少し限定された範囲での話だけど。

アートですアーティストです といわれても、自分ではそう納得できないというか
はあ・・としか返せないものってたくさんあって
造られたものが全てアートだ美術だなんて思わないし
自分のなかで確実にあるはずのその判断基準のラインはまだ見えない
しかし、もっと、美術って 違うんじゃないか という漠然とした理想はあって
だからこそ これは違うんじゃないかという疑念が常にある。
アートって もっとさ、、、という気持ち。漠然としすぎなのは分かってる。
一方で、これが素晴らしいと声を大にして言えるものにも確実に出会っている実感はあって
それは作品もそうだけど人であったり 事であったりもするのだが
とにかく今は色々なことを保留にしている。

でもはっきりした部分もあって
これは残していかないと と思うものもある。
by tetoyarama | 2008-07-16 21:55 | tetra
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