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結局あの対馬のペットボトルは中国に入ることはできなかった。
中国へのゴミの輸出にはライセンスが必要とのことで関税で止められ、 行方不明になってしまったらしい。 その後対馬のあびるさんの協力により再度ペットボトルを手にいれて それは小沢さんの手により洗浄・フレーク状に裁断されて、中国へ発送。 作品は完成したそうです。 作品は カーペットと、作業中のドキュメンとで構成されています。 私のとった映像も使われているとのこと。 日本ではいつ見られるのでしょうか。 ▲
by tetoyarama
| 2007-05-25 00:52
| oyama
![]() ここは韓国ともっとも近い浜で、ものすごい漂着物がありました。 ペットボトルの他にも、ビニール袋や、浮き、発泡スチロール(たぶん漁船で使われているもの)、船の一部とか、瓶、ごみごみごみ・・・ 発泡スチロールは砕けてポロポロになって、それが細かく砂や水と混じり、溜まって、ふかふかした、まるでおかゆのようなものになったまま浜辺に堆積してしまって、そうなるとどうしようもないそうです(踏むとムニョっとして気持ち悪い。)1メートル×1メートルくらいの場所から、ペットボトルが20本も30本も出てきたり、あまりの多さに嫌気がさします。 ![]() ![]() 浜と川のぶつかる所。たぶん、満ち潮の時など、川に逆流したまま海に戻れなくなって、堆積したゴミたち。 このへんの地面は発泡スチロールのクズが砂と水にまじって、おかゆのようにぶにゅぶにゅしている。 結局午前中はじめに行った一つの海岸だけで 袋が一杯になってしまい、これ以上拾っても車に乗らないし、結局捨てる羽目になっても本末転倒なので、ここで拾うのをやめることにして、対馬での収集作業は終了しました。あとは・・・・観光!! 対馬はその昔鎖国の時代に出島意外で外国との交易を許されていた場所で、朝鮮通信使の接待をまかされていたり、国書改ざんとか、元寇の古戦場跡があったり、歴史好きにはたまらない場所であったりします。文化人類学的にも重要な場所であるそうです。今釜山では対馬ブームらしく、たくさんの韓国人が観光に訪れていました。(だってフェリーで1時間半の外国だしな。近い。でも異国情緒がある。) 和多都美神社があったり(海幸彦・山幸彦・豊玉姫にくわえ、磯良神まで祀られている。そして神社の裏手には原始の森が残っている。)神話好きにもたまらない島のようです。 ![]() というわけで、資料館2つ回ったり、ツシマヤマネコ見にいったり、和多都美神社に行ったり温泉入って打ち上げして。。。最後はしたたかに酔っ払い、対馬終了。明日はペットボトルを天津に郵送して、お別れです。しかしお金をまかされているものとしては、帰ってからもまた計算して、打ち上げでオーバーした食費をどこからかうまく持ってくる方法を考えるのでした(途中で寝てしまったけど。朝おきたらお金がちらかっててびっくりした・・・。) ![]() ![]() ■21日(小山最終日) やはり最後もばたばたで、ペットボトルを郵便局に持っていったところ、「大きすぎてこれでは税関通らない」と言われ、いそいで分割・梱包しなおすことに。他3人がそうやっている間に私はレンタカーを返しに一人レンタカー屋へ。清算。そして 釜山・対馬の領収書をまとめ、計算して簡単にですが発生した費用と渡されていた経費を計算。釜山に帰る人たちのためにお金を計算して、分ける。(飛行機のチケットが釜山―東京の往復のため、東京組みは一度釜山に寄って東京へ帰ることになっていたのです) チェックアウトして助っ人に来たもう一人とともに、皆の荷物を郵便局前まで運ぶとバスの出発時間が近づいていて、梱包しなおした荷物を郵便局に運ぶと、どうやらもうお別れの時間。 結局そのまま郵便局で 小沢さんと堅い握手をしてお別れ。3人は皆とへ向かい、私は郵便局で、荷物を郵送するための手続きをしたのでした。 ![]() というわけで、結構ばたばたで対馬の旅が終わりました。 フェリーの時間まで余裕があるなーと、前日まで思っていたのですが、結局郵送手続き(書類を書いて、重さを計って・・・という作業)がかかって お昼ごはんを食べるともう出発の時間でした。 帰ってからも、この郵送のために渡されたお金のあまりと、郵便物控えを小沢さんに送ったり、とったビデオをどうにかマックで見れるようにして送らないといけなかったり、(遠藤さんののブログに書き込んだり・・・)何かとしなければならないことはあるんですが、とりあえず、旅は終わりました。 私は英語もろくに喋れないし、美大を出たわけでも特別詳しいわけでもないので、ものを作る作業とかのお手伝いはできそうにないから(いや、がんばるし手先は器用だけどね・・)大丈夫かと心配ではあったんですが、今回はそういう特殊な作業もなかったし、私は自分の得意な部分で貢献できたのでよかったと思います。 お金の管理とか、車の運転とか、何か聞いたことをメモったりとか、スケジュールを把握していたり。(後日行った浜辺の名前を聞かれたり、メモは何かと役にたちました。) 作家のアシスタントも始めての経験でしたが、いろんな話ができて、聞けて、いいアドバイスももらえたような気がします。 何より、小沢さんという人が、どういう人かを近くで感じることができたのが一番でした。 ということで、まとまらないレポート(ほぼ日記)を このへんで終わりにしたいと思います。 一緒にいて この人はいろんな所にアンテナをはっているなということ あらゆることに意識的で 地に足をつけて しっかりと生活しているんだな ということを感じました。 ▲
by tetoyarama
| 2007-05-25 00:38
| oyama
![]() 対馬には、たくさんのゴミがありました。もちろん日本のゴミも多いんだけど、それ以上にものすごく多かったのが、韓国製のペットボトルやビニール袋。他に、ロシア・台湾・インドネシアのものもありました。ただ、これはその地域から流れてきたものもあれば、航海中の船から投げ捨てられたものである可能性もあります。 場所によっては日本のゴミより韓国のゴミのほうが多いところもあって、これがいかに対馬と韓国が近いかを物語っていると思います。 対馬では、対馬市市民生活部廃棄物対策課の阿比留さんが1日目案内してくれて、2日目は一緒には廻れないからと、拾うべき(漂着物の多い)浜を何ヶ所か教えてくれました。何年も前から対馬では、韓国の大学生が対馬の浜を掃除しに来るという、交流があっているそうで、この日もそれを来週に控えているとのことでした。 昼まで拾った時点でかなり袋が一杯になったので、とりあえずお昼へ。 ここで対馬の郷土料理「ろくべえ」をいただく。 ![]() これはサツマイモを発酵させて作る対馬独特の料理で、同じ名前のものが長崎にもあるが、それとは全く別ものなんだと、女将さんが言っていた。 長崎の「ろくべえ」はサツマイモを粉にしたものを麺にしたもの。 だけど対馬のろくべえは、サツマイモを蒸して丸い玉状にして、寝かせて発酵させるのだそうだ。しかも真冬の寒い時期に、かなり時間をかけて寝かす。 寝かしたものをまたお湯で煮て、でんぷんと繊維だけを取り出したものを麺にしたのが「ろくべえ」 完成までに半年はかかるそうです。すごいなあ。他にもまだまだ独特の郷土料理があるので、また来たときにでも食べたいもんです。 ![]() 「ろくべえ」アップ。 この「ろくべえ」、繊維とでんぷんのみでできているので、麺は短く太いがこしがあって、不思議な食感。うどんのようにだし汁・わかめなどと一緒に食べる。これはおいしい。その後阿比留さんを囲んで、ろくべえをいかに売り出していくか、と言う話をまじめにする。健康食ブームに乗っかって、とか、ヨーロッパから広めて逆輸入とか、手がかかるというのをアピールして・・とか。おもろい。 1日目でも、かなりのペットボトルが集まったので、ホテルに戻って 今回も窓にペットボトルを貼り付けて写真をとります。 今回泊まったところは西山寺というお寺のユースホステルで、とても綺麗なところでした。お坊さんも奥さんもいい人だった。初日に部屋にペットボトルの持ち込みをするということで、ご迷惑をかけるのできちんとこの作品について説明をしましたが、とても好意的にうけとってくださったようです。 (対馬に行くことがあればぜひ泊まってみてください。) ▲
by tetoyarama
| 2007-05-25 00:37
| oyama
![]() このプロジェクトのはじまりは、ネパールから。ネパールで福祉とアートを結びつけるような活動をしている佐野さん、という方がいて、(パヘンロのことだと思われます。)そこで映像作品をつくる事になった。それは、ネパールを出発地点としての旅の記録を映像で撮るようなものだったのだけど、何のコンセプトもなく、ただ旅をするというのに自分としてはあまり意味を見出せなかったので、ゴミを拾いながら歩くことにした。 というのも、そのころセイザンという、山(山自体が信仰の対象になっていて、登ることはできず、巡礼者はそのまわりをぐるぐる廻って巡礼をする)のまわりのゴミが問題になっていたので、そこから、自然に返らないプラスチックやビニールゴミをひろうことからはじめようと思ったそうです。 しかし、ビニールゴミは結局、リサイクルなどの方法もないし、どこかに捨てるか燃やすしかないので、それからはリサイクルペットボトルに特化して拾うことにした。それが、始まり。 チベットで拾い、チンタオで拾い、釜山で拾い、対馬で拾い、ルクセンブルグで拾う。 リサイクルの方法を探していたときに、知り合いづてに天津でリサイクル工場をやっている日本人がいると知り、連絡を取り、今回の絨毯をつくるという形になったのだとか。 この天津の方がとてもおもしろくて、その言葉に感動したそうです。 今回絨毯の製作を依頼している天津の工場がリサイクルをはじめたのは、オイルショックがあった後なのだそうです。オイルショックのときに、大きな打撃をうけて、もうこんなことがないようにと、新しい素材としてPETボトルを利用することを思い着いた。「これは利潤を追求していったらそうなっただけで、本当に、自然にそうなっただけのことなんだよ」と、社長は言ったそうです。 日本ではリサイクルというのがかなり認識されていて、リサイクル率もかなり高いそうなんですが、外国は必ずしもそうではない。全く知らないところもある。それを、自分が拾っていることで、興味をもって「お前、何で拾ってるんだ?」と聞いてくる人が居る。そこで「お金になるからだよ」というと、目の色が変わる。そういう、自然のためとか環境のため、未来のためとかそんなだいそれたことではなくて、自分の利益になるとか、そういう身近なことからでいいんじゃないか、そういう所から伝えていけばいいんじゃないかと 小沢さん。 ▲
by tetoyarama
| 2007-05-25 00:30
| oyama
■17日
昨日のおかげで体中がバキバキ。筋肉痛。ああ体力をつけなければ。 疲れもあるので今日は8時集合で、ホテルの朝ごはんがイマイチだったので外へ。 建物の端っこにある、朝早くから開いているような、狭い狭い定食屋に入った。 うううう うまい!みんなで「韓国って何でもおいしいよねー」といいながら食べる。そして朝からやはり辛いのであった・・・(カメラのデータが飛んでしまって、写真をのせられないのが無念・・・今私の手元には時々ビデオで撮ってた写真と、携帯の写真しかない・・・) 10時に事務所に集合。今日は、ボートで無人島に行く予定。(本当は昨日行く予定だったのだけど、昨日は霧があったので、行けなかったのでした。ボートを出すのには100000ウォンかかるらしく、今回はNPOの人は同行せず、自分達+ボートの運転手(この人もNPOの一人らしい。とにかく色んな所にいろんなことをしている人が点在している)で行くことになった。しかし、船着場まで送り迎えしてくれる。すごく親切だ。 早速出発。途中お弁当屋さんでお昼を買って船着場へ。水門をくぐり、川をくだる。 無人島とは言っても、こんもりとした山のある、映画に出てくるような典型的なものではない。河口ちかくにできた、三角州のような場所。 2つの島に行ったのだけど、一つは笹のような植物が一面に生い茂った カニだらけの島で、地面に穴がたくさんあいていた。 場所によって何もないところと、ゴミばかりがたくさん集まっているところとあるのは、水の流れのせいだろう。もう一つの島は海鳥がたくさん居る砂浜の島で、気をつけないとあちこちに卵があるので、踏んでしまいそう。浜の片方が川に面していて、もう反対側は海に面しているという、ちょうど川と海の分かれ目にある島だった。卵に気をつけながら、ペットボトルを拾う。やはり無人島なので、かなり年期の入ったもの(乾ききって踏むだけでバリバリと壊れてしまうものや、貝がひっついたもの)も多い。それにしても、ペットボトル、プラスチックの燃料タンクが本当に多い。韓国のもののほかに、中国のものもあった。日本からのゴミは、見つけられない。それは日本からのゴミが少ないのではなくて、日本のゴミはやはり太平洋側からのものが多く、しかも太平洋側は島がないので、海流に乗ってどこまでもどこまでも散乱して流されていってしまうのだそうだ。それは、ちょっと 怖い。アメリカやヨーロッパの海岸で、日本のゴミを見つけることも、あるのかもしれない。 海水に洗われて、さらに砂で洗われているおかげか、集まったのを見ると昨日のものほどの匂いはなかった。 ちなみにものすごく風が強かったので、ひろったペットボトルにうまく風が入るようにすると、あの、ビール瓶に行きをホゥーと吹きいれた時のように、「ボー」っと鳴ります。それが面白くて、ちょっと遊んでビデオにも撮ったんだけど、 風の音に消されてビデオには音入ってませんでした・・・ 残念。 この2つの島だけで、持ってきた1トン袋が満杯になってしまった。 ![]() 写真は 船に袋を固定する運転手さんと、阿部君。 帰りはもちろんぎゅうぎゅうです。 この運転手のおじさんがものすごく無口で、でも気配りがあって、いいおじさんだった。 職人、って感じ。 とりあえず、釜山で目標にしていた分は拾いおえてしまった。この後ホテルへ戻り、郵送の準備をして、この日は釜山最後なので ホテルの地下のスーパー銭湯に行って、ジムチルバン(部屋全体、屋根も床もが塩でできていて、床にはむしろのようなものがしいてある、サウナのような所。)にみんなで入った。(ジムチルバンはそれ用の服を来て入る、岩盤浴のようなもので、混浴でした。4人で横たわっているのがなんか不思議でおもしろかった。家族みたいだ) その後11時近くから ご飯を食べに。結局いつもこんな時間に、限界まで腹をすかせて食事にいくねと、ちょっとおかしい。 明らかに店じまい前のお店だったけど、おばさんが開けてくれた。ビールは置いてなくて、下の店で買ってきて持ち込めとのことだったので。ビールとマッコリを買って持ち込み。 酔っ払う。 前日の夜ごはんは 節約のためなぜかカップラーメンだったけど、それでもビールは必須で Hiteビールは薄味でさわやかで飲み易く。 旅の間結局毎晩飲んでいた・・・。 ■18日 移動日。しかし郵送の手続きがうまくいってなくて、しかも小沢さんが前日財布をNPOの車に置き忘れていたため ばたばたの出発。 9時にNPO事務所→郵便料金を振込み→10時15分出発のフェリーなので、できるだけ早くチェックイン(本当は9時15分にはチェックインすべきらしい・・) ここでも NPOの人がすごく親切にしてくれて ありがたかった。お別れは銀行の前で。タクシーに乗る前にジン・ソクがぎゅっとしてくれた。けど、私は欧米式の挨拶には慣れてないので 顔をどっちに向ければいいのかわからなくて戸惑った。かなりぎこちない動きをしたと思う。いや、でも うれしかったよ。 フェリーで対馬へ出発。 この日乗った船は、かなりのレア・ルートらしい。 というのも韓国の会社が韓国人観光客のために作った線で、(これとセットで対馬にホテルもあるらしい)乗客は私達意外全員韓国人。 ちなみにこの線の日本の事業所にはおじさんが一人しかいなくて、日本からこの便のチケットを取ろうとすると、なぜか取れたり取れなかったりするらしい。 「おじさんの気分次第なんじゃない?」とは小沢さんのコメントですが、小沢さんの奥さんが予約しようとした時も若干驚かれたとか。 対馬まで2時間半。これは下のほう、福岡に近い方の厳原港へ止まるからで、韓国に近い方の比田勝までだと1時間半で着くらしい。これは対馬から福岡へ行くのより、かなり近い。 対馬から福岡までだと フェリーだと4・5時間かかると思う。 乗っている間、隣の阿部君が寝てしまったので、小沢さんと話をしていたけれど、このプロジェクトの内容を色々聞くことができた。 ▲
by tetoyarama
| 2007-05-25 00:29
| oyama
2007年5月15日から21日にかけて、小沢剛さんのアシスタントとして釜山・対馬に行ってきました。これはその時の記録。
もともとは遠藤水城のアメリカ滞在中の時のブログMAD/ENDの掲示板用にまとめたものですが、ここにはもう少し詳しいもおをあげておきます アシスタントは私を含め3名で、他二人は東京芸大の学生と卒業生。 年も同じくらいでわきあいあいと。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ■15日 福岡から参加の私は博多港から一人高速船に乗り(こんなのはじめて乗った。釜山まで3時間弱の船旅。近いなー釜山って)、釜山港からタクシーで宿泊先の海雲台(ヘイウンデ)にあるユースホステルへ。(ユースホステルといっても普通にちょっと高いビジネスホテルみたいな感じ。そして韓国のタクシー代はものすごく安い!) 夜の10時ごろに小沢さん達東京組(飛行機で釜山へ来た)と合流。ごはんを食べながら明日からの予定について確認をする。 私はここでお金をまかされて、以後、活躍。 お金の管理ができるって貴重だよ~と 言っていた。 今回の目的は 18日の移動日を挟み、15日に現地(釜山)集合。16・17と釜山の海岸で、19・20は対馬の海岸で漂流物のペットボトルをひろうこと。 ここで拾われたペットボトルは、その後中国天津のリサイクル工場へ送られ、絨毯になります。この絨毯、試作品を見せてもらいましたが、ペットボトルとは思えないほど、上質な毛並みをもったものです。 リサイクルの過程で、ペットボトルはチップにされ、何度も何度も洗浄されますが、やはりそれでもどうしても取れない付着物があって、それによってできあがる絨毯の色も変わってくるのだとか。今回は何色になるのでしょうか。 今回の作品は、写真と、拾っている時のドキュメント、そして絨毯の3点で構成される予定で、9月からのルクセンブルグでの展覧会で発表されます。 キュレーションはホウ・ハンルー。 しかしこの作品はこの展覧会のための作品、というわけではなくて、2年前から動き出したプロジェクトであるそうです。始まりは、ネパールの、佐野さんから。 ■16日 朝7時に集合。さっそく海雲台の海沿いを散策。ユースホステルのあるこのへんは、私立美術館や、アクアリウム、映画撮影スタジオなどもあり、文化的な都市として開発中のようで、高層ビルがボンボン建設中。それに合わせて新しい道路も建設中。曇りの日は霧が出るのか、周りがかすんで見える。(でも、これって排気ガスとかじゃね?っていう疑問もあり。中国も近いし。出発の前日・前々日と温かく風の弱い日の続いた福岡では、連日光化学スモッグが発生するというニュースが流れていて、その一因として中国の工場地帯から排出された排気ガスとか汚染物質が、気圧の流れといっしょに流れてくるからだ という話があったのです。空気、海、風。やっぱお隣さんなんだな、というのはこのプロジェクト中にも何度も実感することになります。まあ韓国のは本当に霧なんですけどね。) ![]() 海沿いを土嚢袋をいくつも提げて散策。 岩の間、テトラポットの間、ゴミとゴミの間にペットボトルを大量に発見し、取る。手をのばして取る、足をのばして取る、テトラポットのすきまに上半身つっこんで取る。体力勝負。 しかし、そんなに移動してもいないのに、かなりの量が取れて、時間もさしせまってきたので 終了。コンビニで朝ごはんを買って、集めたペットボトル(60×90の土嚢袋4袋ほど)をホテルへあずけ、昨日打ち合わせをしておいた 環境系NPOの事務所へ向かう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー はじめにアシスタントの話を聞いた時は、チンタオ・釜山・対馬の海岸で拾う、ということだったので、場所的に海を介してのやりとりとか、近隣の国との関係だとか、環境問題だとか、そういうものを想定していたんですが、どうも、そういう場所限定のものではないようです。 今回場所として釜山・対馬を選んだのは、情報を手にいれやすい所だったからで、日本付近とか、得に場所を限定したものではないとのこと。この「情報を手にいれる」というのがほんっとに大変なことで、観光地であればなおのことそうですが、どこに、どんなゴミが集まるか、なんて何を調べても出てこない。 むしろ隠される。 この情報を集めるのにとても苦労されたそうです。結局 友人からはじまり、人から人へと繋がって、富山で海洋調査をされている方にいきつき、そこから今回韓国で案内をしてくださるNPO法人や、対馬市役所の廃棄物対策課の方に繋がったそうです。 今回釜山で案内をしてくれるのは、KFEMという組織で、韓国の環境につてのプロジェクトはもちろん、日本、特に九州とかかわりを持っていて、和白(福岡)や、水俣(熊本)などでも支部がある・・か、日本の組織と協力してかそのへんはよく聞き取れなかったのですが、活動しているらしい。大掛かりな海岸清掃活動などもしていて、どこでどの位のゴミがあるか、またそれはどこから流れてくるのか、という資料も見せていただいた。 10時半に事務所に集合し、少しミーティングをしたあと、NPOのスタッフ3人とともにワゴンで出発。海岸をまわってペットボトル集め。 ものすごい量のペットボトルが。やはりビーチとか、観光地などは、清掃の人が掃除するので、ペットボトルもゴミもないのですが、ちょっと中に入ったり、人が来ないところへ行くと、たくさんのゴミやペットボトルや船の残骸や、発泡スチロールがぼろぼろになったもの、何かをもやした跡が。 何ヶ所か海岸を回って用意してきていた1トン袋がいっぱいになるくらいまで拾ったころ、お昼。(アヒル料理がおいしいと評判の店らしい。トイレで韓国に住んでいるという日本人に会って、彼女は「観光ですか?」とちょっとびっくりしていた。どうやら、おいしいけど観光客にはほとんど知られていない、穴場の名店らしい・・・。ここのマッコリ(初めて飲んだ)がものすごくおいしかった。その後市販のものも飲んだけど、市販のものとは色が違う!) ここで韓流とかぺ・ヨンジュンがなぜおば様に受けるのかとか、映画や本の話でもりあがる。スッキョンが映画好きで「ジョゼと虎と魚たち」ものすごくいいよね!と言っていた。あと、宮崎はやお。「彼は天才だよー」と小沢さん。ジン・ソクさんは、私が辛い辛い言っていると、笑っていた。 (辛いのは好きなんだけど、うっかり食べた青いトオガラシがものすごく口の中でひりひりした。でもジャンはものすごくおいしい。) その後、雨が降ってきたので、今日のペットボトル拾いはここまでにして、ホテルへ。 ホテルの外(の目立たない場所)でペットボトルを潰す作業をする。あまりにも汚れがひどいもの(海草や虫の死骸やゴミなどがひっついたり中に入ったりしてどろどろになっているもの)は水で荒って潰す。(これは小沢さんが素手でやってたんだけど、あとから手にアレルギー反応が出ていた・・・) 部屋に戻って(しかし、ペットボトルからの匂いがものすごく臭い・・)しばらく休憩したあと、写真を撮るためにセッティング。 チンタオでもそうだったらしいのだが、拾ったペットボトルを窓に貼りつけ、写真をとって作品にする。なぜ窓に貼るかというと、外の景色が透けて見えるからなのだそうだ。 美しいし。 ![]() 道中 ビデオでたくさんの映像をとった。 このときの 作業風景も とってある。 搬入の様子とか搬出 準備の記録ってすごく 面白いと個人的に思う。 ▲
by tetoyarama
| 2007-05-25 00:18
| oyama
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